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終わったやつが始めたブログ

大学卒業に9年かかった男の考えていること

パンクロックは文化祭を続ける

「ハモりのほうが歌上手い」

パンクロックを通り過ぎた人たちなら頷いてくれるだろう。

もともとキーの高いパンクロックのメロディーのさらに上でハモるサブメンバーの歌の上手さよ。

僕が高校時代夢中になったバンドといえば、eastern youthである。北海道出身の3ピースバンドで、ライブハウスに通った当時でさえメンバーは全員初老といっていい年頃であった。

先輩バンドのカバーで知った「夏の日の午後」に衝撃を受け、すぐにライブのチケットを取り、ギターの拓と二人で渋谷クワトロ、恵比寿リキッドルームと立て続けにライブを見に行った。

目的はただ一つ。夏の日の午後がかかったら誰にも負けないくらいモッシュで暴れること。おかげでセットリストどころか夏の日の午後以外に何がかかったかも覚えていない。

古参のファンの皆様には若さゆえのご迷惑をおかけして大変申し訳なく赤面する反面、高校生のロック少年にしかできないエネルギーの発散をどうだどうだと言わんばかりにぶちかませた快感はいまだに残っている。

思い出話が長くなりそうなので、今日のテーマに入る。パンクロックは文化祭を続けるという話だ。

パンクロックは、スタッズのベルトや金髪のツンツンヘアーや長いストラップに吊るされた低いポジションのギターをガンガンストロークすることや破れたジーンズやパワ−コードや16ビートやただ青春を煽る3コードではなく、「今日が最後で今日しかなくて、好きな女の子に好きと言えずに、それでも俺はここにいるぞと大声を張り上げるあまりズレたキーで歌ってしまうような、それでもそれが聴く人の心を震わせる」そんな音楽なのである。

それはつまり、3年最後の文化祭、進学先も決まっておらず、俺は他のやつとは違うんだという勝手な自信だけを拠り所にしているロック少年最後の舞台の気持ちなのである。

メタルやビジュアル系のような超絶テクニックもなく、しっとりバラードを聴かせるような歌い方もできないパンクロックの歌詞がメロディーが僕らの心を打つのはなぜか。

それはパンクロックに人生を捧げた奴らは、ライブのたびに自らの命を削るように全力で演奏し歌い「今日が最後だ」と言わんばかりのエネルギーを僕らに投げつけてくるからだ。

 

パンクロックのライブに来ている奴らをあなたは知っているだろうか。僕の知る限りライブに来ている奴らのほとんどはいわゆる「普通の」奴らだった。バンドTシャツを着ているようなヘッズはあまりおらず、クラスでは目立たないタイプの人々だ。

しかしライブが始まるとどうだろう。そのひょろっちい体のどこから出るのかと驚かせされるくらいの大声で「オイ!オイ!」とコールを繰り返し、目を輝かせて自分の大好きな曲を一緒に歌う。

僕はそれを見ていて思ったのだ。

ああパンクロックは文化祭なのだと。