終わったやつが始めたブログ

大学卒業に9年かかった男の考えていること

かっちゃんへ

 

かっちゃん。僕の大好きだった叔父さん。僕が22のとき、大学を休学して雑誌の編プロで働いていたある日の朝、撮影に向かう直前に親父からの電話で亡くなったことを知らされたかっちゃん。僕は電話口で「なんで」「なんで」「どうして助けてあげられなかったんだ」と言葉にできないぐしゃぐしゃな気持ちの中で、それしか言えなかった。

 

親父は「お前は葬式には来なくていい」と言った。多分親父はどうにかなってしまいそうで、そんな姿を僕に見せたくなかったのだと今は思う。そういう不器用な優しさのある人だから。

 

かっちゃん。おばあちゃんはよく僕に言っていたよ。「こうちゃんとかっちゃんの兄弟は、あんたたち兄弟とそっくりや」僕はうれしかった。ベタベタするでもなく、突き放すわけでもない、男っぽい優しさがあって、ユーモアがあって、少年のような心があって、でもすごく不器用で、周りに理解してもらえない苦しみを抱えていたであろうかっちゃんが大好きだったから。

 

なのに毎日をただ無為に過ごして、いつの間にか同級生が卒業することにもうすでに二年間の留年が確定していた僕は、そんなかっちゃんに会いにいこうともしませんでした。会いたいと思ったときにはもう遅いっていうけど本当ですね。今誰にも見られることのないブログにこんなことを書いても意味がないことはわかっています。

 

おばあちゃんたちがことあるごとに親父とかっちゃんを比べて「あの子はあかん」「こうちゃんを見てみい」と話しているのを聞いて、泣きながら怒ったことがあります。

なぜなら僕も同じことを言われているような気がしたから。年の離れた優秀な兄がいて、どうしても比べられてしまう。同じことをして勝負しようと思っても勝てない。いつもよりいい点数が取れたり、褒められたりしても「お兄ちゃんは普段からずっとそうよ」と言われるたびに、いたたまれない気持ちになり続けてきた僕は、かっちゃんもきっとそうだと思って、かっちゃんが非難されたからというよりは、自分がまた否定されたような気持ちになって、辛くて泣いて怒ったんだと思う。

 

かっちゃんが亡くなったときは、まだ僕は鬱になってなくて、それでも生きていこうと思ったし、かっちゃんの分まで生きていこうと思ってました。

でも、器用でやってみれば大概のことはできてしまって、それで怠け癖がついて、でも自分がかつて周囲から受けた賞賛と自信が忘れられなくて、そんな自分が今まで簡単にできていたことができなくなって、それって地獄だよね。

思い描いていた、心から求めていた、自分を心から信頼して愛してくれる人がどんどん離れていって、身近な人はそんな自分を直視してくれなくなって、僕の場合は自分が周りを大切にできていなかったから、因果応報なんだけど、そう思えば思うほど、自分に生きてる価値がないと思ってしまいました。もしかしたらかっちゃんもそうだったのかな。

「あなたが死にたい今日は誰かがどうしても生きたかった1日だ」みたいな言葉があるけど、そんなの関係ないよね。僕から言わせれば「あなたが楽しく過ごした今日は、僕がどうしても死にたかった1日だ」だよ。かっちゃんはどう思う?

 

それでも僕がなんとか生きなければと思うのは、かっちゃんとしんごおじちゃんがいたからです。しんごおじちゃんについてはまた書くけど。あのときの親父と母さんを見たら、自殺なんてできないよ。人に生かされてるっていうけど、こういう意味の生かされてるもあるよね。僕はそんな家族が近くにいるだけ幸せで、恵まれてるのでしょう。

男一人で生きていって、誰にも言えないことがあって、それを抱えたまま、耐えきれずに死を選ぶ。想像しただけで辛くて苦しくて涙が出ます。二人の苦しみとは違う苦しみなのかもしれないけれど、少しだけ分かる気がします。

 

僕はもう生きているのが辛いです。普通の人が普通にできることができない。愛する人を大切にできない。大切にしたいはずなのに傷つけてしまう。人に愛してほしくて認めてほしくてしょうがないのに。自分を愛せないから、自分を傷つけ続けているから、きっと僕はそうなのでしょう。そしてそれは「お前は人を愛して愛されて幸せになる資格なんてない」ってどこかの誰かに言われている気持ちになります。

 

僕の体を使って生きられるようになる人がいるのなら、どうぞなんでも持っていってください。そしてあなたの体の中で少しでいいので幸せを感じさせてください。

 

僕はもう、僕のままで生きていくのが、辛すぎて耐えられないかもしれないので、どうかその前に、僕の心臓を、骨髄を、使えるものは全て持っていってください。

 

今はそんな気持ちでいます。