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終わったやつが始めたブログ

大学卒業に9年かかった男の考えていること

働く女性

働く女性が好きだ。どこかに勤めなくても、大人になれば日々の暮らしの中で働くようになる。洗濯物を干す。食事を作る。掃除をする。庭木の手入れをする。家事だ。

 

俺は笑顔で働く女性が特に好きだが、悲しそうな顔をして仕事をする女性も嫌いではない。

 

男は不器用だ。かっこつけようとしてかっこ悪くなったりする。辛くても腹が立っても「これは仕事だ。気持ちを顔に出してはいけない」と自分を抑えて、後になって酔いに任せて愚痴をこぼしたりする。一貫性がない。不器用だから。

働く女を直情型と仮面型の二種類に分けてみるようにしている。
どちらにも長所と短所がある。

直情型の長所は、人として魅力的な場合が多く、仕事の成果をあげていればキャラクターも相まって周囲から信頼される上司になりうるところ。

短所は、仕事ができないタイプの人だった場合、自らの感情や自己評価のためだけに動くタイプのためチームの士気を損ねるところ。

仮面型の長所は、協調性が高く、自己防衛的な意味もあって周囲をむやみに傷つけないため、チームのまとまりがよくなるところ。

短所は、自らの感情を表に出さない分ストレスが溜まりがちになり、仕事に対する強いモチベーションを持ちにくくなるところ。

悲しそうな顔をして仕事をしていても目がいってしまうのは、仮面型のほう。

表情に出さないようにしているその人の素の感情が少しだけ溢れた瞬間を感じられるのは仮面型だから。

働く女性が好きだ。真剣な顔でパソコンに向かう女性が好きだ。洗濯物が真っ白でうれしそうな女性が好きだ。笑ったり怒ったりしながら働く女性も好きだし、いつも優しい笑顔で働いてるのに今日はなんだか下を向いている女性も好きだ。

彼女たちには居場所がある。働くことで信用を評価を自分にしかない価値を手に入れ、人に必要とされている彼女たちの場所がある。

 

決して誇らず、けれどもそれは体のどこかに凛々しさとして人の目に映る美しさがある。

 

働く女性は美しい。

パンクロックは文化祭を続ける

「ハモりのほうが歌上手い」

パンクロックを通り過ぎた人たちなら頷いてくれるだろう。

もともとキーの高いパンクロックのメロディーのさらに上でハモるサブメンバーの歌の上手さよ。

僕が高校時代夢中になったバンドといえば、eastern youthである。北海道出身の3ピースバンドで、ライブハウスに通った当時でさえメンバーは全員初老といっていい年頃であった。

先輩バンドのカバーで知った「夏の日の午後」に衝撃を受け、すぐにライブのチケットを取り、ギターの拓と二人で渋谷クワトロ、恵比寿リキッドルームと立て続けにライブを見に行った。

目的はただ一つ。夏の日の午後がかかったら誰にも負けないくらいモッシュで暴れること。おかげでセットリストどころか夏の日の午後以外に何がかかったかも覚えていない。

古参のファンの皆様には若さゆえのご迷惑をおかけして大変申し訳なく赤面する反面、高校生のロック少年にしかできないエネルギーの発散をどうだどうだと言わんばかりにぶちかませた快感はいまだに残っている。

思い出話が長くなりそうなので、今日のテーマに入る。パンクロックは文化祭を続けるという話だ。

パンクロックは、スタッズのベルトや金髪のツンツンヘアーや長いストラップに吊るされた低いポジションのギターをガンガンストロークすることや破れたジーンズやパワ−コードや16ビートやただ青春を煽る3コードではなく、「今日が最後で今日しかなくて、好きな女の子に好きと言えずに、それでも俺はここにいるぞと大声を張り上げるあまりズレたキーで歌ってしまうような、それでもそれが聴く人の心を震わせる」そんな音楽なのである。

それはつまり、3年最後の文化祭、進学先も決まっておらず、俺は他のやつとは違うんだという勝手な自信だけを拠り所にしているロック少年最後の舞台の気持ちなのである。

メタルやビジュアル系のような超絶テクニックもなく、しっとりバラードを聴かせるような歌い方もできないパンクロックの歌詞がメロディーが僕らの心を打つのはなぜか。

それはパンクロックに人生を捧げた奴らは、ライブのたびに自らの命を削るように全力で演奏し歌い「今日が最後だ」と言わんばかりのエネルギーを僕らに投げつけてくるからだ。

 

パンクロックのライブに来ている奴らをあなたは知っているだろうか。僕の知る限りライブに来ている奴らのほとんどはいわゆる「普通の」奴らだった。バンドTシャツを着ているようなヘッズはあまりおらず、クラスでは目立たないタイプの人々だ。

しかしライブが始まるとどうだろう。そのひょろっちい体のどこから出るのかと驚かせされるくらいの大声で「オイ!オイ!」とコールを繰り返し、目を輝かせて自分の大好きな曲を一緒に歌う。

僕はそれを見ていて思ったのだ。

ああパンクロックは文化祭なのだと。




過ちすな心して降りよ

会社を辞めることにした。
具体的には今抱えている案件が終わる2/4にだ。
会社を辞めると書いたが、世間的にいえばバイトを辞めるだけのことだ。

感覚値としては、社員ではないがバイトでもない感じなのだが、時給で働いている以上バイトだろう。

辞める理由はいくつかあるが、一番は単純にイライラするからだ。耐えられるイライラはイライラではない。カリカリくらいかな。でも、こんな働き方させる人の使い方ってないよなと感じる場所での労働はイライラになる。

社長は「給料は我慢代」「我慢できなくなったらやめればいい」ということを公言している人なので、僕が辞めたとしても我慢できなくなったんだなと思うだけで、止めはしないだろう。止めてほしくもない。

社長は僕と同じくうつの一種を患っており、この会社の仕事をちょろっと手伝い始めた当初から僕もうつだと伝えていたので、急に休んだり、二週間くらい休んでも詰問してくることはなかった。また、途中で給料もあげてくれた。

基本的に人の話を聞けない人だが、強く言えば聞いてくれるし、どうしても聞けないとき(そう見えるとき)は、こちらに任せてくれるし、責任も取ってくれるという。

私服でOK、出勤時間の縛りもなく、手元にある仕事を捌ければ問題ないというスタイルなので非常に働きやすく、また休みやすかった。気候やそのときの感情によって大きく体調が変わるうつ病患者にとってかなりいい職場だったと思う。

しかしその反面、社長がADHDで自分で全ての仕事に目を通さないと落ち着かないタイプの人だったため、判断を仰いだり、承認が必要な場合は、かなりの確率で社長のところでスタックする。そしてADHDの特徴である先延ばしからの直前無茶振りコンボでKOされるのだ。本人は周囲に「俺はADHDだから」と言っているが、それが免罪符というか黄門様の印籠というか、そんなものになっているししている状態にイライラするようになった。把握しているのなら、打ち手はあるはずで、それをしないのは経営者としてまずいと思う。

業績はいい感じに伸びていっている、ように見える。このフェーズで未だにこの問題で仕事が滞るというのはゆっくりと死んでいっているのと同じだと思う。今は良くても先がないのだ。

僕が一番嫌いなのは言ってることとやってることが違う人だ。あーだこーだ美辞麗句を並べたり、教訓じみた話をかましてくる人はだいたいナルシストで、あまり周囲の目を気にしない。だってそんなこと言ったら自分に対するハードルが上がるのは目に見えているのに、それでも話すんだから、要は自己評価が高くて、周囲の評価を理解できていないってことだろう。

僕はこう考えるようになってから言葉数が減った。使う言葉を厳選して、ちょっと出す程度にするようになった。そうすると人から信頼されることが増えた。
信頼されにくい人は喋りすぎなのだ。

残りの二週間、辞める前の最後の仕事だという意味付けをしてなんとかモチベーションを保ちたいと思っている。途中でキレそうだけど、それはあまりにもダサいのでグッとこらえて次の仕事に移りたいな。

次は何しよ。

燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや

例えば昨日悲しかったとして、それが尾をひく場合とそうでない場合がある。

では幸せな気持ちは尾をひくのだろうか。いや尾をひくというと正確ではない。

 

幸せは街灯のようなものでポツンポツンと記憶の中におぼろげに光っていて、近づいたときにその光の暖かさや照らされた周りの風景を思い出す。近づかなければ輪郭さえ定かではない。


悲しみはどうか。

悲しみは水はけの悪いグラウンドだ。晴れが続けば砂埃さえ立てるほど乾燥する。でも雨が降ったらしばらくはぬかるんだままだ。0を晴れ、1を雨とするならば、悲しみに0.5はない。悲しみは常に0か1のどちらかだ。

思考のすべてが支配され、息をするのも苦しいほどに胸が締め付けられる。考えまい、考えまいとすればするほどに頭の中はそのことでいっぱいになる。泣くか。正体を失うほどに酔うか。とにかく心身ともに手放し運転にしない限りずっとそこにあるのが、悲しみだ。

 

泣き顔とも笑い顔とも取れるような、ちょっとしかめた顔で「あの時こうしていれば……」なんて思い返せるならもうそれは悲しみではなく幸せだ。思い出に浸り、選ばなかった選択肢を生きる自分を夢想する。そんなやつは存在しないのだから物語はもちろんフィクションで、フィクションは書き手が望んだ最後を迎える。なら過去のVHSを引っ張り出してくるその行為は、映画を観るのと同じくらい娯楽的で、砂漠を耕すのと同じくらい非生産的だ。

非生産的な行動は自らをゴミ製造マシンにしてしまうから、できる限りやめよう。とは思うのだが、非生産的な行為は他の人との共通の趣味になりにくいからどうしても無意味なのに意味のある行為に思えてしまい、やめられないのが実情である。何回も全クリしちゃうゲームってあるだろ?

 

話を元に戻すと、悲しみはずーっと尾をひく感情だけど幸せは忘れちゃいがちだよねって話。

 

でもいつまでも悲しんでらんないし、身近な幸せを忘れがちな日々は一番大切なこと見落としがちになるからどうしたらいいんだろうね。

って考えてたらアーティストっていわれる人たちはそれを他の人が体験しても感動できるぐらい直に表現できる人たちなんだなと。だから人の人生変えるくらいの力があって色褪せないんだなと。

逆にそうやって表現しないと破裂しちゃうってのもあるのかもと思った。勅使河原三郎が「すいません、身体で表現ばっかりしていると言葉が思考に追いつかなくなるもので」って言ってたみたいに、それぞれが持つ言語で自分の心のゆらめきを留めておかないと心と体が離れていってしまうのかもな。

ペースは季節や忙しさによって変わりますが、未だに君の夢を見ます。

 

君の夢を見ている間は幸せです。内容がどんなものだったとしても、やはり会えるだけで幸せです。

 

目が覚めるとどんな夢だったかを忘れてしまうことが多いけれど、それでも君の夢を見たことは覚えていて、とても辛くなります。

 

去年の年末に連絡をもらい、今年の正月に君に会ってからもう一年が経ちます。

 

今年はどんな一年になりましたか?僕は何かしたといえばしたし、それが普段と変わらない一年だったといえばそうかもしれない。

君の活躍を見ているとうれしい反面さみしくもなります。君の幸せを見ることが僕の幸せと思っていたけれど、僕の幸せはやっぱり君を幸せにすることだったみたいです。他の誰かと幸せそうでも祝えるか。いや祝えない。

 

思い出の分だけ後悔も深い。脳内のデータファイルを書き換えたい。

29歳になったのでブログ開設してみました

27歳といえば、カート・コバーンジミ・ヘンドリクスジャニス・ジョプリンエイミー・ワインハウスなど、著名なミュージシャンが亡くなった年齢です。都市伝説的にいえば、悪魔の契約とかいわれているやつです。

 

じゃあ29歳はというと、フジファブリック志村正彦が亡くなった年齢です。
志村が亡くなった2009年は在籍中の大学を休学し、縁あった都内の編集プロダクションで朝から晩まで働いていた年でした。

 

この年は5月に忌野清志郎が、6月にマイケル・ジャクソンが、7月にアベフトシが亡くなったという年で、僕にとってのロックスターが一気にこの世を去った年でもあります。

 

中でもアベと志村の訃報のショックは凄まじいものがあり、仕事中に「ううっ」と涙をこぼした記憶があります。

少年が仮面ライダーやスポーツ選手に憧れるように、僕にもロックスターに憧れた時期がありました。それはバンドをかじったことのある男性なら誰しもが通る道で、多くの場合は自分にはそうなれる素質がないと諦めて自然とプレイヤーを辞めていきます。御多分に洩れず僕も大学入学を機にバンドをやめました。

それでも音楽を聴くことはずっと好きで、日々ダラダラヘラヘラ過ごしながらも「俺はこんなもんじゃない」とか「本当に欲しかったものはこれなのか?」とか自問自答して苦しんでいるときに、それらを吹っ飛ばしてくれるカッコイイ音楽を探して、見つけて、何度も聴いて、なんとか前に進もうとしていたような気がします。

 

しかし、楽な方に楽な方に流れていった僕はいつしか前に進むのをやめ、休学を含めて5年も余分に大学に通うことになります。他の人より5年も多く大学生として過ごす間に多くの友達を失い、恋人に別れを告げられ、全般性不安障害というギャグみたいな名前のうつ病を患い、身も心もボロボロになった状態で都落ちをし、かろうじて卒業した後も実家でうだつの上がらない日々を送っています。

 

ではなぜそんなやつが今さらブログを始めたかというと、それは自分を救うためです。昨今のSNSは本当に思っていることを書けない空間になってしまいました。人は関係値をもとに相手の発言を受け取りますが、簡単に繋がれるSNSの場ではその関係値があいまいな場合が多く、思いもよらないところから批判を受けたりします。しかもそれはコメント欄にはあらわれない場合があります。

 

僕のように周りの目を気にする人間にとっては、自分が思ったことをSNSで公開するのはかなり勇気のいることで、とてもシラフじゃやってられません。意図したことに的外れなコメントを残され、そんなアホと友達だと思われるのもやってられません。

 

だったら初めから書かなければいいという話になるところですが、エゴの塊の僕には受け入れられる意見ではありません。頭の整理のために思ったことはどこかに書き残したいですし、誰かに共感してもらって自分を認めてもらった気になりたいのです。実際にはそうでなかったとしても。

 

このブログが自分にとって今後どんな存在になっていくかはわかりませんが、急に死んじゃったとしてもどこかの誰かが読んでくれるならば、それは僕が存在した証明になるのではないでしょうか。

 

ロックスターになれず、誰かの気持ちを動かす音楽を作れなかった僕にとっては、このブログがそんな存在になるような気がします。