終わったやつが始めたブログ

大学卒業に9年かかった男の考えていること

仕事が始まって3週間。

今週初めて2日休んだ。

公務員規定にある3日間の夏休みがなぜか付与されていたから休んでもいいかなくらいのテンションで休んだ。

 

浅い夢を見る日が続いた。

久しぶりにまりなが出てきたがやっぱり他の男と一緒にいて俺にはもう気持ちがないとかそんなのだ。あの正月の西武が相当ショックだったんだろう。深層心理を見るのに夢は有効だ。

 

9月に激ヤセしていたのが10月で元通り。どころか太り始めてきて焦る。ただ酒はやめられない。つまみがなくても飲めるようになったらいよいよだと思う。

 

休んだ2日間は慣れ親しんだニートモードでゲームしたりオナニーしたり漫画読んだらで終わった。人と会ったりどこかへ行ったりできれば気分も変わるだろうが車がなければできることもほとんどなく寒いので歩いてどこかへ行こうとも思わない。

 

仕事は必要なことを見つけてやっていくという性に合った性質のものだけれど、俺の長所である独創性のあるアイデアはあまり必要でないから1週間を過ごすのに憂鬱にはなる。だからといって2日休んでもそれはそれでなかなか退屈だ。

 

なんともまあ厄介な性格というかみんなどう折り合いをつけているのか分からないけれど、どうしてこれで日々やっていって普通でいられるのかよく理解できない。代わり映えのない日々を退屈な街で過ごして「平穏だなぁ」とお茶でも飲んでいるときのテンションでいられるのか?焦らないか?このまま死ぬと納得できるか?

 

相変わらずクソジジイは給料を払ってこないからいい加減くたばらないかな。頭の沸いたヤツと話すとはらわたが煮え繰り返って仕方がないから本当に電話したくない。できれば殺したい。雷を伴う豪雨がない地域だから期待薄だがジジイに雷が落ちて影だけアスファルトに残して燃え尽きたらやっと笑える気がする。

 

付き合った途端毎日家にきて親に会えだの何時に寝ただのうるさい彼女ももう少し大人になってほしい。野菜を洗剤で洗うとかギャグだぞ。ベーコンは塊で冷やすと脂が白く固まるんだよ。自分の見たことないもの知らないものにもう少し謙虚であってほしい。ヒゲは剃ったみたいだからそこはありがたい。産毛剃るよとジャブを入れたのが効いたかな。

 

金はもっとあったほうがいい。部屋を借り直せば生活クオリティは上がるかもしれないが金は足りなくなる。車はどうなんだろうな。正直いらないとも思う。引っ越したことを内緒にしておいて補助をもらいながら立注を借りられるならまあアリかもしれない。カーシェアも調べよう。

 

早く年末になれ。

明日から新しい仕事が始まる。

 

ホント9月は激動の1ヶ月って感じだったけど、実際のところわりかし寝てる時間も多かった。

 

どんなふうに働いていくのかなにが起きるのか。今までの感じだと順風満帆にはいかない波乱の予感。

 

でもまあ堅い仕事だから無難にこなすのかな。

うまくいかないものだね

5月のブログから4ヶ月弱。

 

前向きな気持ちを持って書かれていた文章を見てため息が出た。

 

身も心もすり減らし、新天地に向かう決意をした人間がものの2ヶ月でまた元通りになってしまう。

 

これから気が向いた時に備忘録として釧路で何があったのかを記録していくが、今の気持ちをひとまず書く。

 

仕事を辞めると決めたのは9/1。

菊地社長からの理不尽な罵詈雑言にほとほと疲れ果てたからだ。この人と関わっていると間違いなく俺は壊れる。

 

決断してからは早かった。

会えば体調が悪くなるのはわかりきっていたから会社を休み、仕事を辞めるというとすぐに部屋を追い出され、車を没収されることを想定して引っ越しと引き継ぎの準備を始めた。

 

本当はふみさんに一番に報告したかったけれど、ふみさんは不整脈で心臓の手術を控えているため話せなかった。自分の体調を考えず、動いてくれる人だから。

 

ふみさんの周りの人たちが親身になって相談に乗ってくれたおかげで、気持ちも落ち着き、体調も良くなっていった。だが1人でいるときに訪れる無力感だけはどうにもならない。

 

引き継ぎは9/7に終わらせた。引っ越し先も見つかり、引っ越しに必要な手続きも9/8に終わった。あとは9/11午前に大物家具を移動させて、午後に辞める旨を伝えれば、ひとまずのしがらみからは解放される。

 

9/17に新しい仕事の面接がある。

その結果次第で釧路に残るか埼玉に帰るかを決める。正直決まるとは思わない。埼玉に帰って元の生活でのんびり暮らしたいという思いも強い。バイトしてお金を貯めて手に職を付けられるような資格を取るのもいいかもしれない。

 

なにより母さんに会いたい。

 

 

このブログ、遺書のつもりでつけてたんだよね。

 

何してたかとか何を考えてたとか多分ほとんどの人はお互いのこと深く知り得ないまま死んでいくんだし、一通の遺書じゃ正直伝えきれないから。

 

だったらああこういうときにこう感じていたのか、でもそうじゃない日もあったのかって見えるほうがいいと思ったんだ。

 

感情が動いたとき、主に悲しいときだけど、そういう場面の感情が記録として残っていれば、突然死んだとしても残された人がどうしてって悩まずに済むし、それぞれの理由付けをして勝手に後悔させたりせずに済む。

 

俺にとっては突然死んでしまった身内がいる経験上、どうしてもあのあとしばらく引きずる感情を家族や友達に味わってほしくなかったし、惜しんでもらえたらそれはそれでうれしいけどそうじゃなくてそれぞれの受け取り方で納得してほしかったんだ。

 

でもまあそういう目的でのこのブログも一旦はここまで。

 

どうなるかは分からないけど、とにかく今の仕事を辞めて釧路に移住して生きていくって決めたから。これからこのブログは死んでいくためのブログから生きていくためのブログに変えるよ。

 

5/13は俺にとっての記念日になった。新しい誕生日だ。

死にたくなると人にたくさん電話をする。誰からも必要とされていない、何をやってもダメだ、この先もずっとそうだという思考を、久しぶりに電話する相手にかけてもらう優しい言葉で打ち消そうと本能的にしているのだと思う。

 

鬱になってから落ち込んだときにどう対処するか身に付けていった気がするが、1番効果的で楽なのはその原因から逃げることだった。

 

ただこれは現実逃避をしているだけで、あとからあのとき頑張れていればと後悔することも多い。でもそうしていなければ死んでいたかもと思うと仕方ないことだとも思うし、その思考回路が逃げ道を作ってから行動していることになっているのかもと思う思考地獄。

 

結果抜け出した先も袋小路の八方塞がりで、戻る道は来た道になってしまったりする。つまり同じことの繰り返し。

 

中途半端に環境を変えるのではなく場所人時間の全てを変える行動を起こさなければいけない。今の自分が多少マシになったように思う、じゃ足りなくて、前の自分はこうだった今の自分は違う人間だけど。くらいに思えないと意味はない。

 

自分に甘くて自分に厳しいのが俺を苦しめる理由。